名古屋高等裁判所 昭和48年(ネ)440号 判決 1977年10月20日
控訴人
小柳津はつ
右訴訟代理人
冨田博
控訴人
今井栄一
右訴訟代理人
佐藤一平
右訴訟復代理人
長屋誠
被控訴人
桜井智恵子
右訴訟代理人
影山正雄
主文
一 控訴人今井栄一の本件控訴を却下する。
二 原判決中控訴人小柳津はつと被控訴人に関する部分を次のとおり変更する。
1 控訴人小柳津はつと被控訴人との間において豊橋市駅前大通一丁目一〇番地294.41平方米につき、被控訴人の共有持分は一三分の六であることを確認する。
2 控訴人小柳津はつは被控訴人に対し、前項の土地につき、名古屋法務局豊橋支局昭和四二年一二月七日受付第三一七九六号による小柳津兼太郎持分移転登記中「共有者持分三分の一小柳津はつ」とあるを「共有者、持分一三分の三、小柳津はつ」とする更正登記手続をせよ。
3 控訴人小柳津はつは、被控訴人が第一項の土地につき、名古屋法務局豊橋支局昭和二七年七月三日受付第四三三〇号による持分移転登記中「移転全所有権三分の一近藤銀一持分」とあるを「移転全所有権一三分の六、近藤銀一持分」とする更正登記手続をすることについて承諾せよ。
4 被控訴人のその余の請求を却下する。
三 控訴人今井と被控訴人間の控訴費用は同控訴人の負担とし、控訴人小柳津と被控訴人間の訴訟費用は第一、二審を通じこれを五分し、その四を同控訴人の負担とし、その一を被控訴人の負担とする。
事実《省略》
理由
一被控訴人の主張(1)について
持分権は一個の所有権の量的一部として、所有権とその性質、内容を同じくするから、一の独立の権利として各共有者は単独で他の共有者に対して、自己の持分権を主張しうるものである。
従つて、共有者が自己の持分権を他の共有者から否認せられた場合には、その共有者は否認する共有者だけを相手として持分権確認の請求ができるものと解されるから、本件持分権確認請求訴訟は、固有必要的共同訴訟ではない。
又、更正登記は、すでに登記されている権利の登記について、当初の登記手続において錯誤(故意の場合も含む)などがあるため、その一部が登記面と実体関係との間に不一致がある場合に、これを是正する目的でなされる登記をいうのであるところ、本件の場合の更正登記は、真実の共有持分権が登記簿上に表示されている持分権と符合しないために、右真実の持分権によつて、登記面を是正する旨の登記手続を求めているものであり、この場合の更正登記請求は実質においては共有持分権の分量的増加によつて利益を受ける者が登記権利者として、右分量的増加に応じて持分権の分量的減少によつて不利益を受ける者を登記義務者として、同義務者に対してなされる一部抹消登記請求であるから、右登記権利者としては本件更正登記請求権を否認する共有者だけを相手とすればよいのであつて、本件更正登記手続請求訴訟を固有必要的共同訴訟と解する必要はないものと考える。
ところで、控訴人今井栄一が原判決の送達を受けたのは昭和四八年七月一四日であつて、その控訴状を提出したのは、同四九年三月二八日であることは本件訴訟記録に徴して明らかであるから、右控訴は控訴期間経過後に提起せられた不適法なものとして却下さるべきものである。
二本件土地につき、被控訴人及び控訴人両名が共有持分各三分の一の所有権登記を経由していること、昭和二三年四月一九日牧平義信から、近藤銀一及び小柳津兼太郎に対し、各持分三分の一を売買を原因として所有権移転登記を経由したこと、右近藤銀一の持分は被控訴人桜井智恵子に、右小柳津兼太郎の持分は控訴人小柳津はつに、又右牧平義信の持分は酒井長次郎を経て控訴人今井栄一に譲渡されてその旨各移転登記を経由して、現在、被控訴人、控訴人ら三名が各三分の一の持分を有する旨の登記がなされていることは、当事者間に争いがない。
三そこで、被控訴人、控訴人小柳津はつの共有持分の割合について検討する。
<証拠>を総合すれば、本件土地は区画整理前豊橋市花田町西宿五二番、同五三番等の土地の一部であつて、近藤銀一、牧平義信、矢野某が右土地の所有者から賃借して、該土地の西側道路より東方に向つて右矢野某(矢野某の借地部分はその後近藤銀一が借受けた)、牧平義信、近藤銀一が使用しており、右牧平と近藤との借地部分との間には空地があつたこと、そして右近藤、牧平は土地区画整理事業による換地処分後も本件土地を引続き使用できるようにしたいと考えていたところ、小柳津兼太郎が右空地に倉庫を建てるために、その空地を所有者から借受けて使用していたために、本件土地に対する右近藤銀一、牧平義信、小柳津兼太郎の使用割合は概ね六、四、三の割合であつたこと、かくして右小柳津も右近藤や牧平の換地を受ける相談に加わり、これら三名の者がその換地処分を受けるための従前の土地として豊橋市花田町南島七八番の一二、宅地149坪12(492.95平方メートル)を、右使用部分の各割合に応じて同土地の代金を出し合つて買取ることを約し、そのための手続を右牧平義信に一任をしたこと、右従前地の土地代金金一三万円は諸雑費を含めて右近藤銀一が金六万円余、牧平義信が金四万円余、小柳津兼太郎が金三万円余を支払つて同土地を購入したうえ、同土地の換地として本件土地89.06坪(294.41平方メートル)の交付を受けたこと、本件土地の持分の登記は、右土地代金の出捐額の割合に応じてなされることになつていたのに昭和二三年二月二五日付にて訴外牧平義信の単独名義で所有権移転登記がなされ、さらに同人から右近藤、小柳津に対し、各三分の一宛の持分譲渡の登記がなされたものであること、その後近藤銀一は右持分登記を発見して、右牧平に抗議をしたところ、同人は右近藤、牧平、小柳津の各持分がそれぞれ六、四、三の持分であることを認め、また小柳津も牧平からの話しで右持分の割合を承知したので、後叙認定の如き経緯によつて、甲第二号証の契約書が作成されたものであること、本件土地の固定資産税や昭和三三年九月課せられた換地精算金は前記出捐金の割合でそれぞれ分担してこれを納付していたこと、昭和四三年に控訴人小柳津が訴外酒井長次郎を相手方として申立てた建物収去土地明渡調停事件(被控訴人も利害関係人として参加)の調停の際も土地の共有者各自の使用面積が各自の持分と比較して広狭があれば、共有者相互間に事実上貸借同様の関係が成立するので、特段の事情のない限りは、使用料を払つてもこれを精算するのが通例であり、従つて本件の場合、仮に控訴人ら主張の如くに、被控訴人、控訴人らの共有持分が各三分の一であつたとすれば、前記のように本件土地に対する近藤銀一、牧平義信、小柳津兼太郎の各使用割合は各六、四、三であつたのであるから、右近藤は控訴人らに対して使用部分に応ずる使用料を支払い、控訴人らは被控訴人から右各使用料を受けるべきであるのに右調停にあつては、右酒井長次郎が控訴人小柳津の持分の土地を使用するについて、その使用損害金を協定したほかは、被控訴人が通路や控訴人小柳津の土地の一部(三坪)を使用するについて使用損害金を控訴人小柳津、訴外酒井長次郎らに支払うことを協定しているにとどまり、右小柳津、酒井らが被控訴人に対して、持分の三分の一を超える部分の使用損害金の支払を主張した形跡がないことが、それぞれ認められる。<証拠判断省略>
以上認定の各事実によれば、本件土地に対する被控訴人、控訴人らの共有持分は、近藤銀一の持分の承継人たる被控訴人は一三分の六、小柳津兼太郎の持分の承継人たる控訴人小柳津はつは一三分の三(因に酒井長次郎の持分の承継人(同酒井は牧平義信からの持分の承継人)たる控訴人今井栄一は一三分の四)であるものと判断される。
控訴人らは甲第二号証(昭和二六年一〇月二五日付契約書)は、作成名義人たる小柳津兼太郎の意思に基づかないもので、後日、日付をさかのぼらせて作成した偽造の文書である旨主張し、丙一号証を提出する。
<証拠>によれば、昭和三二年末頃近藤銀一と被控訴人の依頼により、右近藤、牧平、小柳津兼太郎との間において右六、四、三の割合を明らかにするための契約書(甲第二号証)に右代次郎が小柳津兼太郎の名前を記載したものであるが、その当時、右兼太郎は死亡していたこと、また成立に争いのない丙第一号証によれば、甲第二号証に貼付された収入印紙は昭和二九年四月一日以降発売されたものであることが、各認められるが<証拠>によれば、前叙のとおり近藤銀一は本件換地により本件土地に対する自己の持分は一三分の六の登記がなされているものと信じていたところ、右近藤、牧平、小柳津兼太郎の各持分がそれぞれ三分の一である旨の登記がなされていることを発見し、真実の持分権と相違していたため、将来の紛争をおそれ、これを防止すべく、昭和二五年頃右近藤ら三名が協議をして、三名の各持分は前記のとおり六、四、三であることを諒承し確認したので、この事実を文書化するために司法書士に依頼して、右内容の文書を三通作成させ、右三名が同文書を各一通ずつ保管することとしたこと、その際右牧平から図面を付けるようにいわれて、そのままにしているうちに、訴外小柳津兼太郎が死亡したため、右近藤としては、牧平が健在なうち同文書に関係者の署名押印をもらう必要を感じ、昭和三二年頃小柳津兼太郎の養子代次郎に対し、右文書を示して署名押印を求めたところ、同人はその趣旨を了解したうえ、右兼太郎の氏名を記載し、押印したこと、右収入印紙は当時一般に流通していたものを右文書に貼付したもの(甲第二号証)であることが各認められる。右認定事実によれば、右小柳津代次郎は本件土地に対する近藤、牧平、小柳津兼太郎の持分が六、四、三の割合であることを右代次郎自身が認めるとともに、養父兼太郎においても右持分の割合を了解していたものであろうことを表明したものと考えられるから、甲第二号証が右兼太郎の死亡した後に、同人名義で日付をさかのぼらせて作成されたものであつても、当裁判所の前示認定判断を左右するものではない。
四控訴人小柳津は、仮に被控訴人が本件土地に対し、一三分の六の持分権を有していたとしても、右持分権をもつて控訴人らに対抗できないという。
しかしながら、叙上認定したように右近藤銀一、牧平義信、小柳津兼太郎らは本件土地を六、四、三の割合で共有しており、被控訴人は右近藤の一三分の六の持分権を譲受け、控訴人小柳津はつは右小柳津兼太郎の一三分の三の持分権を譲受けたものであつて、小柳津兼太郎においては、右一三分の三の持分を超える部分については、権利を有しないのであるから、登記に公信力のない以上当該持分(一三分の三)を譲受けて取得した控訴人小柳津はつが、本件土地につき、三分の一の持分登記を受けていても、右一三分の三を超える部分について持分権を有することにはならないとともに、被控訴人は本件土地に対する持分登記が三分の一に過ぎなくとも、真実の持分権は、一三分の六であることには変りがない。
従つて本件土地につき真実一三分の六の持分権を有する被控訴人が、当該持分権をもつて控訴人小柳津はつに対抗するには、同控訴人において共有持分の一三分の三を超える部分について権利を有しない以上、かかる無権利者に対して、被控訴人の右真実の持分権の登記が履践されていなくても何ら差支えはないのである(控訴人今井栄一の対抗の可否に関する主張は、判断する必要はない。)。さすれば、被控訴人に右持分権の登記がないから、それをもつて、控訴人小柳津はつに対し、対抗できないとする同控訴人の主張は理由がない。
五ところで、被控訴人は本訴において、自己の共有持分権のみならず、他の共有者である控訴人小柳津の共有持分権についてもそれぞれ、その確認を求め、併せて右各確認された持分権にもとづいて自己の共有持分権の取得登記のみならず、控訴人小柳津の共有持分権の取得登記と被控訴人及び控訴人小柳津はつの各前所有者たる訴外近藤銀一、同小柳津兼太郎の共有持分権の取得登記についてもそれぞれ更正登記手続を求めているが、被控訴人としては同人自身の右各請求について判断を求めれば足りるものであつて、控訴人小柳津について右の各請求をなすことは不必要であるから、当該訴については、その利益を欠くものというべく又右訴外人たる近藤銀一、同小柳津兼太郎について右の各請求をなすことは、右各訴外人が本訴の当事者とされていない以上、被控訴人において右各訴外人にかかる共有持分の取得登記の更正登記手続までも求める資格を有しないのであるから、同各訴外人にかかる右各請求は許されないものといわなければならない。
従つて被控訴人の本訴請求のうち、被控訴人自身の持分権の確認を求め、かつ当該持分権にもとづき更正登記手続を求める関係部分に限つてこれを認容し、その余の申立については失当として、これを却下すべきものである。
六以上の次第で、控訴人今井栄一の本件控訴は不適法なものとして、これを却下すべく、被控訴人の本訴請求については、右五記載説示のとおり、その限度において認容し、その余の部分についてはこれを却下すべきものであるから、これと異なる原判決は、その限度で変更することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九二条、九五条を適用して、主文のとおり判決する。
(丸山武夫 林倫正 杉山忠雄)